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性格は顔に出る
生活は体に出る
本音は仕草に出る
感情は声に出る
センスは服に出る
美意識は爪に出る
清潔感は髪に出る
落ち着きのなさは足に出る
もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか? “No”という答えが幾日も続いたら、私は何か変える必要があると知るのです。
年を取るごとに壁を作るのが上手くなって、確保した安全な場所でどんどん馬鹿になっていく。自分が馬鹿であることをすっかり忘れたとき、そこに怪物が出来上がる。
くろーず まいんど
もんすたー
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モノをためこんでしまう人のなかには、こういったお金のつかいかたをする人がとても多いのです。
毎日使うマグカップやボールペンは100円ショップなどで適当に選び、使用頻度の極端に少ない使いにくそうな高級食器や、ふだんつけられない派手なアクセサリーや時計などに、驚くほどのお金を使うのです。
(中略)
毎日使うモノをぞんざいに扱って、めったに使わないモノにものすごい価値があるかのように、後生大事にとっておくのです。
(中略)
毎日使うモノこそ、道具として高い価値があるのです。
ですから、使用頻度の高いモノを購入するときは、使い勝手や質、デザインなどに徹底的にこだわること。
毎日使うモノに愛着がわけば、生活が楽しく、豊かになります。
多少値段が張ってもいいのです。
めったに使わないモノにお金をかけるよりも、よほど正しいお金のつかいかただと思いませんか。
(P.83~84)
言い方が優しい人は、無意識に話してる相手が返答しやすいように言葉を調節して話してるんだけど、言い方がきつい人はただ単に自分が言いたい事を言うだけ。
これが相手にボールを両手で手に渡してるか、顔面にぶつけてるかの違い。
コミュニケーション。
『傷つきたくない。からの脱却』
私の今ある悩みというのは、きっと、「傷つきたくない」ということに収斂されるのではないか。それを乗り越えたら、次のステップに移れるのではないか。
「傷つきたくない」ことで弱気にもなるし、踏み出すことも億劫になる。傷つかない範囲でしか行動しない。積極的にもならないし、おっかなびっくり物事をすることになる。人に叱られるのも嫌だし、人が怒鳴っているのを見るのも嫌。悲しい気持ちになることも嫌だし、脅やかされるのも回避したいし、影響されるのも嫌なのかもしれない。そして何より、できない自分を認識することが嫌なのだと思う。「傷つきたくない」というワードだけで、これだけのネガティブな言葉が連なって出てくる。ここに全てが現れている。
「傷つくこと」を平気でできるようになったら、人生変わるだろうな、と。マゾになれということではなくて、打たれ強くなりたいのかもしれない。不屈の、というと使い古された言葉だけど、やってもやっても這い上がれるのなら、それほど強いことはないのではないか。どうしたら、そういった精神を手に入れることができるのだろう。
気持ちの強さ、思いの強さなのだろうか。
否定されることの認知について考えたい。あるいは失敗からのリカバリーについて。私はいろんなことがわかっていないのだと思う。どうしたら、失敗を、過ちを、正せるのか、あるいは、人に許してもらえるだろう。失ってしまったことを復帰されることができると知れば、否定されることが怖くないかもしれない。つまり、どこまで人はやり直すことができるのか、ということだ。それは人生だけでなく、無くしたもの、やり過ごしたこと、できなかったこと、嘘や、自分を大きく見せたい心などのことだ。
どんなに否定されたっていいんだ、と経験として知れば、いろんなことが進むのではないか。
私は人生経験として、どのくらいやり直せるものなのか、識らない。やり直せるものなのかもしれないし、もうどうにもならないこともあるだろう。やり直せるか、どうにもならないことなのか、判断する前から、勝手に傷ついて、諦めているのだ。そういう弱さを私は持っている。
「傷つく」という悲しさに比べたら、「挑戦しない」という悔しさなんてなんでもないのが、私なのだ。自暴自棄になっているのかもしれないし、ある意味やけっぱちなのかもしれない。挑戦しない、予想しない、試してみない、という逃げをしている限り先に進むことはないのだろう。精神的に吝なのかもしれないし、傷つくことを過剰に恐れているのが、今の自分である。
思いつめたり、考え込んでしまうことは、何を間違えて良くて、何を間違えたら取り返しがつかないのか、という線引きができていないということかもしれない。シンプルに、失敗しても良いのだ、と思えれば、もっと違う人生になるはずだ。命まで取られることはない。不安も心配も杞憂になることの方が多いし、リカバリーが効くことも多い。そういう時にこそ、知恵を働かせべきで、回避したり逃げるために知恵を使うことほど愚かなことはないのではないか。よく考えて生きたい。
他のことに興味が出てくると、ちょっとは自分を見る見方も変わってきて、それは余裕になると思うよ(タモリ)
祖父の名言。「親孝行は考えなくていい。祖父母孝行ももちろんだ。親は選べん、子も選べん。だが、配偶者は自分で決めて選んだ相手だ。だからこそ一生責任を持たなくてはいけないし、一番孝行しなさい」 祖父ははそう思っていたから、本当にダメになるまで、あんなに頑張って祖母の世話見てたんだ。
読書中に何か思いついたら、読むのを中断してでも書き留める。その思いつきはベランダに降りてきた雀のようなもので、不意に飛んでいって二度と戻ってこない。
via: Twitter / shigotanon
今日ブログに書こうと思っていたことはコレじゃない。
それは雀のように飛んでいってしまった。
スグにメモしておけばよかった。
これもまた一期一会。
(
一期一会を書き留める
)

